ポスターハリスギャラリー
渋谷の文化村通りを上がって裏街に入ったところにあったギャラリーで、ポスターハリスカンパニーが運営していましたが、ビルの建て替えのために取り壊されて今はもうありません。
雑誌「住宅建築」の連載「役者の棲み家」の最終回(2015年10月号)のために、ポスターハリスの笹目浩之さんに小劇場勉強会の伊東正示さんがインタビューした時の映像です。
下の写真をクリックするとパノラマVRが開きます。

以下、住宅建築「役者の棲み家」第13回
「演劇の色彩をいまに残す ポスター貼りの仕事から見えてくること」から一部引用
──以前に比べて街にポスターを貼る余白が減ったり、デジタルサイネージに取って代わられるなかで、変化は感じますか?
笹目 昔手伝った仕事のなかで、面白かったのは、パルコの地方新規出店のときに、まちにポスターを貼ること。パルコは西武グループだったから、駅貼り広告を断られちゃうんだって。で、頼まれて、地方にパルコのポスター持っていくの。事前にお礼の福引き券を用意しておいてもらって、ローラー作戦で貼りに行くの。ある家では「娘がパルコさんに就職決まったんです」と歓迎されて、ある商店街では「ライバルだから貼れない」と断られる。ポスターを貼ることで、だんだん街が見えてくるの。ひとつの面白いマーケティング手段になるなと思ったことがあるよ。だいたい境界があるの。「この辺までは受け入れてるな」みたいな。
だけど、ポスターを貼る余白は、私はなくなっていないと思う。みんな「ない」と思ってやっていないだけだと思う。実際に貼りに行けば貼れるし。東京で飲食店やってる人はほとんど地方出身者だから、優しいの。地方から「一旗揚げよう」と思ってきてるから、劇団やっててポスター貼りに来た若者には優しいの。
ポスターのデジタル化という点では、駅とかの5秒ごとに入れ替わっちゃうような液晶の大きなポスターも、もうポスターと呼ぶしかないよね。渋谷駅が何年か前に改装したときに、全てのポスターボードが液晶化すると思ったの。そうしたらうちは終わりかなと思った。でも、完全に液晶化しなかったのは、紙の力だと思う。
紙はすごいよね。画像データじゃ、やっぱり印象化しないんだよ。ポスターは物質で、デジタルサイネージは物質じゃないから。紙は人類史上最高の発明品だと思います。だからなくならない。でも、デザインというものがフィニッシュするのが、“データができた時点”なのか、“紙になった時点”なのか、考え方が変わってきていると思ってる。これから、“データができた時点がフィニッシュ”という人が増えていくと思うけど、データが完成されていれば、10年後もいい紙に印刷できる。それもいいと思うけど、今の時代の紙に印刷してフィニッシュ、として完成させておきたいよね。うちはそれを保存し続けていきたいと思う。
引用終わり
ちょうど同じ頃に、渋谷ヒカリエでのポスター展の様子も撮影していますので、そちらもどうぞご覧ください。写真をクリックするとまとめのページにいきます。







