水族館劇場 2014
水族館劇場の2014年の公演のパノラマVRを再オーサリングしたものを再投稿。
三軒茶屋 太子堂八幡神社境内特設野外舞臺「化外の杜」
撮影:2014年4月
下の写真をクリックするとパノラマVRが開きます
ちなみに前年の公演のパノラマはこちらからご覧いただけます
また、この時は建築雑誌「住宅建築」の連載「役者の棲み家」第6回でも取り上げられているので、興味がある方は2014年8月号をご覧いただきたいが、古い雑誌ゆえ入手方法については検索して探し出していただきたい。記事では亡き桃山邑のインタビューを掲載しています。

桃山邑のインタビューの中で、いくつか個人的に印象的なコメントを引用します
僕が一番最初にお芝居の世界に飛び込んだのは、1980年。21歳の頃に「曲馬館」という旅芝居の劇団に入りました。とにかく当時の僕は、旅に行きたくて、曲馬館の劇団員募集に「日本列島南下興行」とあったので。その時、僕はすでに建築労働者だったので、曲馬館にとっても何かと使いやすかったのだと思います。当時曲馬館は寄せ場といわれる建築労働者の街の活動家たちとコンタクトをとっていましたから。(建築労働者っていうのは……?)僕は19歳の頃から建築現場の仕事に入り、鉄筋工の職人として生計をたてていました。
中略
今まで、僕はずっと野天劇場でやってきました。既成の劇場を見てもここでやりたいと思ったこともないし、僕の中の芝居はそういうものじゃないんです。せっかく自分でやるんですから、最初から何もないところに作っていくようなことが一番やりたい。
中略
建築家の渡辺豊和さんが以前に『芸能としての建築』というのを書いていますが、今回の芝居のイメージも、そこからきている部分があります。それは、戦国時代にお城をつくる特殊な技術集団がいて、そういう人達は、役目を果たすと権力者から殺されるという話です。そこから逃れて、どんどん北へと逃れ、山間にへばりついて住み、今でも北の方へいくと、なんでこんな山間にこんなものがあるのかと驚くような建築物が存在しているんですよね。そのなかで渡辺豊和さんは、漂流していく建築の職能集団を考える必要があるんじゃないかというようなことを書いているんです。僕が仕事でずっと扱ってきたのは不動産といわれるもので、建てたら移動できないでしょう?でも、それをつくっている人は、反対に移動するんですよね。高度経済成長の頃や、バブル経済の時は、建築の仕事がたくさんあって、労働者たちはどこが給料がいいか聞きつけては地方を転々としていた。山谷の玉三郎っていう、うちの幕間の人気者がいるんだけど、山谷だけじゃなく、大阪の釜ヶ崎だって玉ちゃんの名前は知られてるんだよね。そんなふうに労働者は場所をしばられず自由に行き来してた。身軽だけど、なんの保証もないんです。僕らだって、どんなに所長から「お願いします、明日も来てください」と言われて現場に行っていても、出来た途端にもうお払い箱、次の日から不法侵入者ですからね。岡林信康の山谷ブルース「工事終わればそれっきり お払い箱の俺たちさ」、まさにその通りですよ。
中略
水族館は一回辞めてもなんかいつの間にか戻ってきたり、大げんかしても何度も帰ってくる。僕自身があんまり意地を張らないというのもあるけど、「桃山がいなくなったから水族館劇場はもう終わり」と言われるのがすごく嫌なんです。 大衆劇団っぽいもので、1000年くらい続けばいいかなと思っているんです。僕よりも上手く書ける人がいたら、そっちの方がいいと思っているし、劇団員も、僕とツーカーである人よりも、ノイズがある方がいいと思っています。 趣味趣向も年代も幅があるほうがいい。
中略
僕の思想というか考え方として、「どんなにへっぽこなものでも、どんなにチープなものでも、どんなに人が見向きもしないようなものでも、集まれば、それは絶対に無価値なものはない」ということがあります。 それを拾い集めてひとつの場を提供するのが、僕の考える一座だろうというふうに思っているんです。
引用終わり
最後に、この時のPM映像





